大阪湾の成り立ち
まず最初に展示されていたのは
ここに書いてあるように大阪湾の成り立ちについて。
大阪湾だけでなく瀬戸内海も陸地だった時があったり、
河内湾なんて内海があった時もあったと。
地元、八尾の名も出てきてる。
そういえば、布施(東大阪の中でも西側で大阪市寄り)辺りにビルを建てるときに
土地の調査してたらたくさんの貝が出てきた(貝塚があった)って話だった。
今は海からはかなり離れているから変に思ってたんだけど、これか〜って思った。
ちなみにその出てきた貝ひとすくいもらったんだけど…どこにやったかな(_ _;)
で、大昔の大阪湾の貝も展示されてたんだけど、
私がもらった中にはこんなに大きな貝はなかったな(^ ^;)
アサリぐらいの大きさばっかりだったはず。
ここにルーペつきの貝も。
写真ではなかなか分かりにくいな。汽水性の2枚貝らしいんだけど。
こんなのだったのかなぁ?
あとここに展示してあったのは
こんな海図。これかっこいい〜(^ ^*)
で、プレートがついていたから見てみると、
なんと、昭和11年!そして大日本帝国水路部!!Σ(* & */)/ なんかすごい…。
海図はもう1つあって、それがこちら。
こっちはだいぶ年月が移り変わって
平成20年!ついこないだやん。
この2つの海図を比べたら、1936年〜2008年だから…
約70年の年月の末どうなったか見ることができる!
(なんか大きさとか書いてある範囲がちょっと違いますが(^ ^;))
飛行場や埋め立て地がやっぱり目につくなぁ。
関空とか神戸のポートアイランドかな。
なんて思ってたら、
こんな感じで埋め立て地についてのパネルがいくつか。
さっきの新しい方の海図の説明にあったけど、
まだどんどん埋め立てる計画があるみたい…。
こちらの絵は
大坂川口絵図とある。
川の氾濫で堤防が破壊されたものを奉行が幕府に報告するために書かれたとある。
昔は『絵』だったんだなぁ…(_ _)))))
今だったら写真やビデオよね。絶対。
あとそうそう、この今紹介して来た展示のガラスの上下には
こんな感じでずらりと写真が貼られてた。
これらの写真は
『空から見た大阪湾の様子』だって。
こんなスペースにも展示があるのがなかなかよかった(^ ^)
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写真はですね…300枚ぐらい撮りました(^ ^;)